中間テスト お疲れさまでした!
岸城中学の皆さんお疲れさまでした!
自分の力はだしきれましたか?
もし、中学1・2年生で出し切れなかった人は次のテストで挽回しましょう!
中学3年生は、中間テストが終わり一息している間もなく、学力診断テストがきます。
私立高校の道しるべとなるものなので、しっかりと復習をし、次のテストに挑みましょう!
さて、復習といえばよく先生から「復習をしなさい」と言われ続けている言葉ですが、
なぜなのでしょう。ここで、全国的に学力の高い秋田県を見てましょう。
調査資料は文部科学省から出されている『全国学力・学習状況調査』(2016年)の項目に
記載されている『授業の復習をしているか』という項目である。
全国的にみると約半分の生徒が復習をしていると答えているのに対し、秋田県は
小中ともに、約90%の生徒が家で復習をしているという。これは、全国的にみても
とてつもない数字であるし、いかに復習が大事であるということが分かる。
皆さんも、テストが終わったからといって気を抜かずに、復習をして自分の力をあげてい
きましょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜歴史偉人コーナー〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お待たせいたしました!
今回の偉人コーナーは半兵衛と両兵衛と呼ばれていた人物である
『黒田官兵衛』です。
彼は、1546年に備前の国に生まれ、当時は赤松家の家臣である小寺政職の近習
となります。のちに赤松家が浦上家に吸収されると、織田家周辺の大名たちは信
長包囲網を完成させようとします。
しかし、官兵衛は当時の信長の才能を高く評価しており、織田家に属すと、
秀吉の下で数々の功績を残した。
その、包囲網が敷かれている中、有岡城にいる荒木村重を調略しようとすると、
一年間黒田官兵衛が帰ってこなかった。それを聞いた信長は官兵衛が裏切ったの
だと考え、官兵衛の人質である長寿丸を殺すように命令した。それを、聞いた
半兵衛は彼の本城である菩提山城に長寿丸をかくまい、彼の子供をまもったそうです。
真実は、官兵衛が有岡城で村重に監禁されており連絡できずにいて子どもを守っ
てもらった竹中半兵衛にお礼を述べたかったところ、半兵衛は亡くなっていたのです。
しかし、この出来事があり官兵衛の息子長寿丸(長政)と半兵衛の息子(重門)はとてつ
もない信頼関係になったそうです。
しかし、秀吉の晩年に官兵衛は頭が良すぎて恐れられ、九州の地に左遷されてしまいます。
結局その地で亡くなり、後世に名を刻むことになります。
スタッフ日記 才塾 岸和田 大北校 2018.10.24